カビパン男と私

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単位語使用者の不覚

「わからなさ」を考えるのが好きだ。もっとも、自分の頭の中をさぐってみるだけだから、一般に役立ちそうな教育的な結論が得られるというわけではない。

単位語

人間を数えるのに、一人、二人といい、このときの「人」を単位語と呼ぶ。日本語や中国語は単位語を持つが、英語なんかは単位語を持たない。one cupboard, two cupboards である。

現在の日本では昔使われていた単位語がだんだん棄たれていき、私などもどうして単位語などというものがあるのかしばしば疑問に思う。

しかし考えてみると、一人、二人というのは、1×人、2×人、のような気がしてくる。人の整数倍が定義されていて、人の和も定義されているとすると、どこかベクトルっぽさが漂う。3 人というとき、「人」は基であり、3 は整数だ。この人間空間の次元は 1 であるから、基は「人」のみである。分配法則も成り立っていて、2人+3人=(2+3)人だ。人間空間のほかに、ミカン空間とか、家空間とかがあって、別の空間だ。だから、1人+1軒なんてのは定義されていない。

もっとも、整数は体ではないから、何体上のベクトルなのかと真面目に尋ねられると困る。ただ、こんな妄想をふくらませると、単位語というのはごく自然なもののように思えてくる。

そういえば、私がむかし不思議に思ったことの一つに、「1分で10リットルの水が入る蛇口がある。3分で何リットル入りますか」みたいな話がある。これは、「\(10 \times 3 = 30\) 、答え 30 リットル」という解答になるわけだが、私は「分を何倍したってリットルになるはずがないのに、それが一つの式で関連させられているというのは奇妙だ」と感じた。「いや、 10 というのは『リットル/分』という単位がつくから平気なのだ」なんて言われたって、どうも問題点を隠蔽するための工作にしか思えないわけである。

思うに、風呂に水を張るとき、時間空間からリットル空間への写像は、「分をリットルに変えて、数の部分を10倍する」という線形写像だ。たぶんこの問題に対する、素朴な答えを作るとすれば、「時間空間 U から風呂の水空間 V への線形写像 T は『分をリットルに変えて、数の部分を10倍する』であるから、T(3分)=30リットル」ということになるだろう。もちろん、そんなことを言って先生に叱られるだけの知恵があるはずもなく、私は大人しく「\(10 \times 3 = 30\) 、答え 30 リットル」をやっていた。

表現行列

ここまで考えて、「表現行列」というものを習ったときの奇妙な感じを思い出した。空間 U から空間 V への写像のそれぞれの基についての表現行列が、空間 V の基の1次結合として定義されるってやつだ。

教科書に書いてあった表現行列の定義を見ながら上のような図を書いて、「線形写像がヨコのつながりだとすると、1次結合はタテのつながりだ。どうしてヨコのものがタテのもので表現できるんだ?」と私は思った。

今にして考えてみると、小学校で勉強した風呂に水を入れる例は、一次元の空間の間の写像ではあるけれども、これとそっくりの問題点をはらんでいたのだ。下図では、風呂に水を入れるという線形写像が、分とリットルという基を用いて 10 という 1×1型の表現行列(スカラーと同一視される)であらわされている。(V の基をリットルではなくミリリットルに変更すると表現行列が変わるということも、この図から想像できる)。

しかるに、私は小学生の頃から U → V の線形写像を R → R の線形変換としてとらえる癖がついていて、R → R という線形変換とは別に U → V という線形写像が存在するのだということが理解できなくなってしまっていたのだ。

単位語を使いこなす日本語話者としては、不覚なことであった。

(なお、小学校で習う「1 あたりの量」というのが、R→R の線形変換を表すのか、あるいは別空間への写像の表現行列なのかは、私にはよくわからない。幸い小学校はもう卒業してしまったから、わからなくても差し支えない)

@kabipanotoko