ラテン語の動詞の活用が覚えられないという話
長い期間勉強していてもラテン語がモノにならないということは昔からあったようで、ディケンズの小説の登場人物にもそんな人がいた(とギッシングが言っていた)。私もやはりラテン語がモノにならないくちで、思い出したように時々勉強してはまたすぐに放り出すということを繰り返している。当然、自分の頭の鈍さを恨めしく思うわけである。もっとも恨んでいるばかりでは仕方がないので、ラテン語を習得した頭のいい人は私とでは何が違うのだろうかということを考えてみることにした。
まず私の失敗パターンを思い出してみる。私はごく普通のやり方を採用して活用形を順に暗唱していった。最初のうちはそれなりに覚えることができるが、活用形が増えていくとだんだん頭がパンクしてくる。人称が 3 種類、数が単数・複数の 2 種類、時制が 6 種類、能動と受動で相が 2 種類、直説法と接続法で法が 2 種類あるから、単純に計算すると 3x2x6x2x2=144 通りだ(実際は存在しないパターンがあって 120 通り)。これを勉強していると、いま自分はどういう活用を覚えてているのかがわからなくなってくる。
そこで思い出したのが、高校生のとき数学を勉強していてΣΣというのに苦労したことである。ΣΣを使った式は、具体的に数を並べてみると 2 次元に広がっていく。ラテン語の活用の多さもこれに似ているのだ。人称、数、時制、相、法があるから 5 次元である。もしかすると頭のいい人は自分が多次元空間のどこにいるのかを把握できているのかもしれないと思い当たった。
話をごくごく単純化してしまうと、x, y 座標上の点を扱うときに、y 軸の値に目を向けると x 軸の値を忘れてしまうのが私で、y のことを考えるときもちゃんと x のことを覚えているのが頭のいい人だ。(そういえば、いしいひさいちの漫画でこんな流れの会話があったのを思い出した。「沖縄に行くんだ」「何のバイト?」「遊びに行くんだよ」「で、どこに遊びに行くんだ?」)
経験からいうと、こうした能力はちょっと鍛えることができそうもない。では絶望なのか? いや、諦めるのは早い。私はまたぞろラテン語の動詞活用表を引っ張り出して、それを私の脳味噌の中にしまい込む工夫をしているところだ。ともかく希望をもって新しいアイディアを試しているところなので、うまくいったらこんどはそれを自慢するエントリーでも書こうと思う。
@kabipanotoko