カビパン男と私

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帯に短かし襷に長し

twitter を使い始めて 10 年以上になるが、ここ何年も天気以外のことをツイートしていない。うーん、もうちょっとツイートするかなあ、と思うけれどもどうもキーボードを叩く手が止まってしまう。べつに twitter の雰囲気が変わっただの、仕様の変更がどうだのという話ではない。ごくごく個人的な私の気分の問題だ。

喋る分量を最小 0 から最大 10 までで表すことを考えてみる。ある時ある場所において、3 以下では寡黙すぎ、7 以上では饒舌すぎだと思ったら、4 から 6 の分量を喋ればよい。当たり前である。

さて問題は寡黙の限界値が饒舌の限界値より高いということがあるのではないかということだ。たとえば、6 以下では寡黙、4 以上では饒舌と感じた人はどうしたらよいか。もし 5 の分量を喋ると、寡黙すぎであるにもかかわらず、同時に饒舌すぎるのだ。

こういう例は他にいくらでもあって、運動不足を解消するだけの運動をすると体のどこかが故障してしまうとか、楽しくなるくらい酒を飲むと気持ちが悪くなるとか、世の中こんなことが少なくない。

帯に短かし襷に長しという慣用句がある。これは似たような状況に見えるが少し違う。紐は帯か襷のどちらかに使えればよい。求められる条件は OR で結ばれている。ところが、お喋りは寡黙にならず饒舌にならずが求められ、運動は健康を害さず運動不足にならずが求められ、飲酒は気持ちが悪くならず愉快になることが求められる。これらの条件は AND で結ばれている(もし、紐というものが帯にも襷にも使えなくてはいけないとしたら、あらゆる紐が絶望するだろう)。

何が言いたいかというと、そもそもちょうどいい点が存在しないことってあるよね、ということである。

@kabipanotoko