カビパン男と私

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必要のない必要性

テキストに同じような処理を繰り返さなくてはいけないとき、何らかのスクリプトを書くことが多い。一度作っておけば後々まで使えると思って書くのだが、次にそのスクリプトが使える機会が結構先になってしまい、そのときには前に作ったものを発見できないことがしばしばである。結局また同じようなスクリプトを書くことになる。たんなる無駄である。しかし、本来書かなくともよい無駄なスクリプトを書いているときが、案外楽しい。前よりも使いやすいものをより簡潔に書こうとあれこれ考えたりする。おかしなことに同じ目的のスクリプトをもう一度書けることがラッキーなことのように思えてもくる。

ここで不思議なことは、こうした無駄なことをする楽しさを味わうためには「必要に迫られて」という言い訳が必要だということだ。使うところが決まっていないコードは一行なりとも書く気にはならない。合理的な目的があるように偽装されたときに、はじめて無駄が楽しめるものらしい。

古い靴を修繕していると新しいのを買えと言われるが、修繕作業を楽しむための言い訳をそう簡単に放り出すことはできない。園芸なんかやっていても、きれいな花を咲かせるためという言い訳のもとにあれこれ作業をしている節がないとは言えない。日曜大工が趣味の人は、何か作るものはないかとしじゅう探しているようだ。100均を漁る楽しさも、これは何かに使えるのではないかと考えるところにあるだろう。もしかすると、研究者の研究テーマというのもじつのところ言い訳に過ぎず、彼らはそのために色々調べたり考えたり実験したりするのが好きなのではないかと私は疑っている。

もっとも、必要性が非常に高い場合は「やらなくてはならない」が勝って楽しむ余裕がなくなる。必要性があくまで言い訳であるということが肝心だ。必要のない必要性であってこそ、おいしいのである。

@kabipanotoko