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自明の理
truism という言葉がある。リーダーズ(第二版)を見ると、「自明の理,公理; わかり切ったこと」とある。一方、COD を見ると、proposition that states nothing beyond what is implied in any of its terms. という語釈もある。その言葉じたいが示す以上のことを何ひとつとして語っていない陳述、といったところか。
truism は、否定できないゆえに、議論の中で反論のふりをして使われるとやっかいだ。それが truism であり、議論の内容と関係がないことを即座に見破らないと、相手のペースになってしまう。
私はむかし、人を信じるということについて友人と議論したことがある。私が人を信じることを肯定すると、彼は「人を信じるというが、ようするに不確実な情報を信頼するというだけのことじゃないか」と言った。私は反論できなかった。
彼の言ったことは、考えてみれば当然である。したがって、それを否定しようと思えば、失敗し、議論は劣勢になる。おそらく私は、「『だけのこと』とは聞きずてならんね。われわれはいま、〈ときとして、不確実に見える情報を信じることに意味があるのはなぜか〉といことを議論しているのじゃないか」と言い、議論の対象がすり替えられていることを指摘するべきだったろう。
大人たちはしばしば悩める若者に対して、truism で反駁してくる。若者が悩みを全うするためには、truism に対する注意力が必要かもしれない。
補足: red herring とは燻製ニシンのことだが、「人の注意を他へそらすもの; 人を惑わすような情報 《★【由来】 キツネ狩りの猟犬に他のにおいとかぎ分けさせる訓練に燻製ニシンを用いることから》」(研究社英和中辞典)でもある。私が言いたかったのは truism を言い立て、以って red herring とする者に注意せざるべからず、ということである。